おいおい言うてますけども

生粋のテレビっ子

おばあちゃんと暮らす人

この3月から、父方のおばあちゃんと暮らすことにした。

おばあちゃんは、85歳を過ぎたところ。念願の二人暮らしだ。

大学院生として、勉強に追われる中でも、コロナ禍で老人ホームに一人いるおばあちゃんとなんとか暮らせないだろうかと模索した結果、やっと住めることになった。

介護が必要なおばあちゃんと、23歳の学生が一緒に住むのが、なぜ可能になったのかは、私もいまだにわからないけれども、いつか忘れちゃう、でも覚えていたいこの日々をちょこちょこ記録していこうと思う。

 

とりあえず、4、5月のおばあちゃん。

コロナ禍で緊急事態宣言が出るたびに全く外部の人と会えなくなるおばあちゃんは、次第に私のことも、一人息子の父のことでさえ、すぐに認識することができなくなっていた。会いに行ける時に行っても、自分から話すことはほとんどなく、表情も変わらなくなっていた。

そして、一緒に住み始めてから、約2ヶ月くらいたった現在、おばあちゃんは、良くも悪くも大きな声で話すようになった。だいたい話しかける時は「おおおおおおーい」という声で、これは寝てても言ってる。この記事を書いている今も。きっと今のは寝言だろうけれど。寝言おーい。おーいについては、いろんなバージョンがあって、面白いから、また書こうと思う。

デイケアも、帰りたい帰りたいとあまりにも言った結果、新しい場所に通うことになった。トットちゃんだねと、父とは笑って話しているものの、この先大丈夫かなと一人で不安になることもある。脳内で流れるのは、謎解きはディナーのあとでの宝生麗子さん「クビよ、クビ、クビ、クビ、クビィイイイ!」

この先、おばあちゃんといつまでこうやって暮らせるのか、自分の仕事やおばあちゃんの体調など、変化要因はたくさんあるのだろうけれど、今日はとりあえず、おばあちゃんと暮らせていることに、よかったなあと思えていたらいいな。

 

 

<a href="https://hb.afl.rakuten.co.jp/hsc/200cb4e1.3aca2522.200caa17.40430907/?link_type=pict&ut=eyJwYWdlIjoic2hvcCIsInR5cGUiOiJwaWN0IiwiY29sIjoxLCJjYXQiOiI0NCIsImJhbiI6IjQ2MDEzNSIsImFtcCI6ZmFsc2V9" target="_blank" rel="nofollow sponsored noopener" style="word-wrap:break-word;" ><img src="https://hbb.afl.rakuten.co.jp/hsb/200cb4e1.3aca2522.200caa17.40430907/?me_id=1&me_adv_id=460135&t=pict" border="0" style="margin:2px" alt="" title=""></a>

おばあちゃーーん

昨日*1半分、青い」を見てそう叫ばずにはいられなかった。

 

 

四月から新しく始まった朝ドラ、主人公は現在小学三年生の鈴愛ちゃん。

鈴愛ちゃんは、友達の律くんと一緒に、糸電話を作る。それは、三途の川を挟んで、おじいちゃん仙吉さんに、おばあちゃん廉子さんと話をさせたいと思ったから。

そんな思いを知った仙吉さんは、家族みんなで御墓参りに行こうと提案する。そしで、御墓参りの後、お墓のある小高い丘の上で、それぞれが空にいるおばあちゃんに話しかける。

 

「おばあちゃーん」

「おかあさーん」

「廉子さーん」

 

 

 

 

おばあちゃんのことを思い出した。

 

私のおばあちゃんは、10年前に亡くなった。病気だからと、わかっていたのだけれど、とってもとても悲しかった。もう会えなくなるのだなと子供心に理解していたけれど、それでも別れは泣いた。

 

おばあちゃんは、「私は天国に行くから、死ぬのはこわくないのよ。」と笑顔で言っていたのをよく覚えている。

 

おばあちゃんは、私にはとっても甘かった。

お母さんには買わなかったチョコレートを買い与え、お風呂に入ると足の指の間まで洗ってくれた。

いつも昼寝ばかりしていて、インターホンを鳴らしても起きないから何度もオートロックのマンションの玄関で立ち尽くすことがあった。

おばあちゃんが元気な間は、いつも髪を切ってもらったから、美容院に行ったこともなかったし、こっそりカニを買ってきては茹でて二人で一匹食べ尽くした。

 

一緒に住んでいたおばあちゃんの死は、私たち家族にとって、とても深い悲しみだった。

ベランダで空を見上げながら、お酒を飲み、「おばあちゃんは良い人だったよ」と言うおじいちゃんの潤んだ瞳は忘れられない。

 

 

 

私たち家族と、鈴愛ちゃんたちの大きな違いがあった。

 

鈴愛ちゃんは、空に向かって声をかけることで、家族と悲しみを共有した。

 

おばあちゃんが自分の中に大きく存在したことを知った。

そのおばあちゃんはもういないと知った。

そして、それを悲しんでいいんだと知った。

そんな時間を過ごしていた。

 

 

時々、私たちは、悲しい気持ちを置いて、走り出そうとしてしまう。悲しい気持ちは置いて行った方が身軽だから。

それでも、どこかで置いてきたはずの悲しい気持ちは、いつも私の中にある。

悲しい気持ちに引っ張られている人を見て、早くそんなものから手を離しなよと思う。

もう走れないと行った人の手を無理やり引っ張ってしまう。

 

私にとって、おばあちゃんは大きな存在で、それは、お母さんにとっても、お父さんにとっても、おじいちゃんにとっても、同じだった。

それでも悲しすぎて、一緒に悲しむことは選べなかった。

それぞれがそれぞれの場所で懸命に涙をこらえて、前に進んできた。

おばあちゃんがいないぶん頑張らなければと、それぞれが思い、それぞれがどうがんばても埋まらない隙間を埋めようとしてきた。埋める必要はなかったのに。

おばあちゃんを一緒に思い出して、一緒に悲しむことができていれば、一人で悲しむこともなかったのにと思う。

 

鈴愛ちゃんは、仙吉さんの手を握り、一緒に立ち止まった。立ち止まる勇気があった。おばあちゃんは確かに自分たちのそばにいたこと、今も自分たちの中にいること、この世にいないのは悲しいことだと気持ちを共有した。

 

鈴愛ちゃんと同じ強さもちたい。

立ち止まって悲しんでいいんだといえる勇気を。

 

自分の人生でも、他人の人生でも。

 

 

 

 

 

半年くらい前(2018年4月)に書いたものを今更(2018年11月)に公開。

 

*1:2018年4月10日放送第8話